寺社めぐり

更新日:2024年02月01日

村に人が住み始めたのは寺院の過去帳などから判断すると、今から約800年くらいに遡ります。古来、村の始祖は平氏の末族だったと言い伝えられています。それを裏付けるように、村には景徳寺をはじめ薬師堂など、平氏ゆかりの寺々が多数あり、一門が遺した重要な仏像や古文書が所蔵されています。
これらの記録や言い伝え、古跡からみると、わが村は1185年に壇ノ浦で滅びた平氏の一族によって開かれたものと考えられます。

左:手前に石柱が設置され、通路の先に影徳寺(河合)の建物が建っている写真、右:後方を木々に囲まれ、ピンクや白い花の咲いた木々の横に薬師堂(河合)の建物が建っている写真

南北朝時代に入ると、村の歴史がはっきりと現れてきます。1392年の南北朝合一のあと、禁闕(きんけつ)の乱後、南朝の系譜をひく北山の宮(後亀山天皇玄孫)が本村小橡の瀧川寺に神器を持って潜匿されました。
ところが1457年、宮は主家を再興しようとしていた赤松家遺臣によって殺害されました。これを知って村人たちは、神器と御首を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬しました。
宮の御墓は今日でも寺内にあり、また御霊は北山の宮に祀られ、御南朝哀史の君として崇められている。

左上:山の麓に建立されたお寺の瀧川寺(小像)の写真、右上:石碑やお墓があり神聖な雰囲気が漂う北山宮墓(瀧川寺内)の写真、左下:上下に2本展示された刀剣(瀧川寺)の写真、右下:階段を上がり、大きな鳥居のある北山宮(小像)の写真

梵鐘

西原宝泉寺に伝わる梵鐘(奈良県指定文化財)鎌倉時代に制作されたもので、紀年銘鐘として全国的にも注目すべき遺品

左上:手すりのある階段の先にある宝泉寺(西原)の写真、左上:銅と錫の合金である青銅で作られた梵鐘(宝泉寺)の写真、左中:鳥居の奥にある八坂神社(河合)の写真、右中:手前に木が植えられレンガ色の屋根の林泉寺(白川)の写真、左下:後方を緑に囲まれ、手前の鳥居の奥にある水分神社(小像)の写真、右下:紅葉と桜の木に鳥居が隠れた水分神社(小像:四季桜と紅葉)の写真

この記事に関するお問い合わせ先

企画政策課
〒639-3701 奈良県吉野郡上北山村大字河合330番地
電話番号:07468-2-0002
ファックス:07468-3-0265
お問い合わせフォーム