上北山村の歴史

更新日:2024年02月01日

村の興り

村に人が住み始めたのは寺院の過去帳などから判断すると、今から八百年くらい前に遡ります。古来、村の始祖は平氏の末族だったと言い伝えられています。
それを裏付けるように、村には景徳寺をはじめ薬師堂など、平氏ゆかりの寺々が多数あり、一門が遺した重要な仏像や古文書が所蔵されています。
これらの記録や言い伝え、古跡からみると、わが村は1185年に壇ノ浦で滅びた平氏の一族によって開かれたものと考えられます。
南北朝時代に入ると、村の歴史がはっきりと現れてきます。 1392年の南北朝合一のあと、禁闕(きんけつ)の変後、南朝の系譜をひく北山の宮(後亀山天皇玄孫)が本村小橡の瀧川寺に神器を持って潜匿されました。
ところが1457年12月2日、宮は主家を再興しようとしていた赤松家遺臣によって殺害されました。これを知って村人たちは、神器と御首を奪い返し、瀧川寺に手厚く埋葬しました。この事件は「長禄の変」と呼ばれています。
宮の御墓は今日でも寺内にあり、また御霊は北山の宮に祀られ、御南朝哀史の君として崇められています。
村は古来より、吉野荘司の一つに数えられ、領主もなく独自の生活文化を営んでいました。ところが、永禄年間に織田信長が領有するところとなり、その後豊臣氏、徳川氏に受け継がれ、以後3百年間は徳川氏によって治められました。
江戸時代は将軍家の御用材所となり、村人たちの一部は「御杣役(おそまやく)」として、帯刀を許され武士同様の身分を誇っていました。

歴史年表

明治

明治時代の歴史年表

年月日

詳細内容
明治8年12月 小瀬・橡本の両村を合併して小橡となる
明治15年2月 西野を西原、川合を河合に改める
明治21年2月 町村制公布
明治22年4月 北山郷上組4ヶ村を以って「上北山村」を設置
明治22年8月 十津川大風水害、本村の被害も甚大
明治23年 「小学校令」発布、村立尋常小学校として五校(西原、小橡、河合,白川、東ノ川)開校
明治33年 東熊野街道が県道に編入され、全面的改修工事に着手(以後10年間の改修、明治43年に工事完了)
明治35年4月 上北山高等小学校設置
明治39年4月 東ノ川ウルメ谷に製板工場(三重県相賀村の野中某氏)建設…上北山における製板の始まり
明治43年9月 東熊野街道改修工事完了につき、上市、木ノ本間全面開通
明治44年4月 河合郵便局(明治15年8月)を上北山郵便局と改称
明治45年1月 瀧川寺境内の北山宮御墓所、宮内省より治定される

大正~昭和20年

大正~昭和20年の歴史年表
年月日 詳細内容
大正8年8月 尾鷲市高木氏白川又原生林の伐採を始め、北山索道を開設
大正9年10月 第1回国勢調査を実施、上北山村人口(3296人)
大正10年 宇治川水力電気株式会社白川発電所完成(起工大正8年)
大正11年4月 河合・西原尋常小学校に高等科併置(上北山高小廃止)
大正11年10月 仏教ヶ岳原生林天然記念物に指定
大正12年9月 9月14日、大台ヶ原一日の降水量1200粍(ミリ)に及ぶ
大正14年7月 役場庁舎(旧)竣工落成
昭和2年5月 北山自動車株式会社会社創立、今西茶屋・下北山小口間乗合自動車開通
昭和3年4月 東ノ川尋常小学校に高等科併設
昭和7年4月 水分神社の「シシンラン群落」天然記念物に指定
昭和9年5月 日本カモシカ天然記念物に指定(昭和30年2月15日特別天然記念物となる)
昭和11年2月 吉野熊野国立公園指定(大台ヶ原・大峯の諸峯等々)
昭和12年9月 第1次室戸台風、村内処々に被害あり
昭和13年3月 西原郵便局開設
昭和13年4月 河合、小橡の両小学校合併、上北山尋常小学校となる(校舎落成14年1月)
昭和15年6月 旧伯母峯トンネル開通(延長145メートル)
昭和16年4月 国民学校令公布、村内4の小学校を国民学校と改称
昭和16年12月 太平洋戦争起こる
昭和19年2月 国民登録制拡大(男20歳~60歳、女12歳~40歳)
昭和20年8月 太平洋戦争終わる
昭和20年9月 国勢調査、上北山村人口(2228人)

昭和21年~40年

昭和21年~40年の歴史年表
年月日 詳細内容
昭和21年11月 日本国憲法公布
昭和22年4月 知事市町村初の首長公選
昭和22年4月 新学制実施、村内に中学校1(分校2)小学校4校設置
昭和23年 上北山診療所開設
昭和24年12月 上北山村野球連盟発足
昭和25年10月 国勢調査、上北山村人口(2337人)
昭和25年10月 東熊野街道国道169号として昇格
昭和27年7月 全国住民登録実施
昭和30年5月 高松宮殿下来村
昭和30年10月 国勢調査、上北山村人口(2543人)
昭和32年 坂本ダム工事着工
昭和33年 和佐又山スキー場開設
昭和34年9月 伊勢湾台風により村内のいたるところで大きな被害を受ける
昭和36年6月 集中豪雨で東の川において家屋流失
昭和36年7月 大台ドライブウェー開通
昭和36年8月 テレビ難視聴のため共同視聴を始める
昭和36年10月 第2室戸台風上陸、風台風による被害あり
昭和37年5月 坂本ダム第1貯水開始
昭和38年6月 前鬼橋完成(古代~音枝間は新国道に)
昭和38年7月 新伯母峯トンネル貫通
昭和38年8月 小橡地区内で初めての有線放送開始
昭和38年10月 白川内ヶ谷移住治造成工事完了
昭和39年5月 池原ダム一部貯水許可される

昭和41年~63年

昭和41年~63年の歴史年表
年月日 詳細内容
昭和41年1月 新伯母峯トンネル開通
昭和41年4月 白川小、上北山小に統合
昭和42年6月 白川新集落完成奉祝祭、白川公民館、プールも合わせて完成
昭和44年7月 水没記念碑を母校に(東の川青年団)
昭和45年5月 河合浄水場給水を開始
昭和45年9月 小橡・木和田地区給水施設完成
昭和46年4月 県民運動場完成
昭和46年12月 上下共同し尿処理場開所(上下衛生一部事務組合)
昭和47年4月 村章決まる
昭和48年7月 役場庁舎・振興センター落成
昭和48年8月 林道和泉線完成
昭和49年4月 上北山保育所開設
昭和49年6月 ごみ処理場完成上下衛生一部事務組合)
昭和51年10月 林道行者環線開通
昭和53年5月 西原簡易水道、給水開始
昭和54年12月 上北山中学校新校舎落成
昭和55年3月 小原橋・河合上切道路・住民センター落成
昭和55年5月 上北山西原郵便局舎落成
昭和57年5月 上北山小学校新校舎落成
昭和57年5月 上北山小学校・西原小学校統合
昭和59年10月 第39回国民体育大会(山岳競技)開催
昭和61年 広域基幹林道「サンギリ」線開通
昭和62年 火葬場完成(上下北山一部事務組合)
昭和62年 村民総合会館落成
昭和63年 シルクロード博決まる市町村デー参加

平成

平成の歴史年表
年月日 詳細内容
平成元年9月 村民憲章決まる
平成元年9月 村の木・村の花・村の鳥決まる
平成2年3月 上北山村特産品加工センター
平成2年3月 上北山村総合計画策定
平成2年4月 上北山温泉源泉湧出
平成2年4月 生駒市と友好都市提携
平成2年10月 国勢調査紙北山村人口(1046人)
平成3年3月 西原ふれあい会館落成
平成3年4月 総合案内センター169完成
平成3年4月 上北山温泉施設完成
平成3年12月 郷土文化保存伝習施設完成
平成4年5月 大台ヶ原ビジターセンター完成
平成5年4月 総合案内センター169「道の駅」に指定なる
平成5年5月 上北山村小中学校教職員宿舎落成
平成6年10月 西原健康増進施設落成
平成6年12月 研修宿泊施設「ふれあいの郷・かみきた」落成
平成7年1月 阪神淡路大震災
平成7年10月 国民調査上北山村人口(1023人)
平成8年5月 和佐又山にて奈良県植樹祭開催
平成8年11月 上北山村商工会館落成
平成9年10月 ワースリビングかみきた落成
平成10年4月 吉野広域消防署北山分遣所落成
平成10年4月 国道169号伯母谷道路(一部共用)開通
平成10年5月 光ファイバーによる共同視聴開始
平成10年9月 大台ケ原民芸品等加工販売施設落成
平成11年7月 ふれあい橋・清流橋開通
平成11年12月 渡瀬コミュニティーセンター落成
平成12年10月 国勢調査上北山村人口(915人)
平成13年8月 小処温泉施設完成
平成14年8月 住民基本台帳ネットワークシステム運用開始
平成15年1月 国道169号伯母谷道路(共用)開通
平成15年1月 上下北山クリーンセンター完成
平成15年3月 吉野郡七町村合併協議会設立
平成16年3月 吉野郡八町村合併協議会廃止
平成16年7月 紀伊山地の霊場と参詣道「大峰奥駈道」世界遺産登録
平成17年1月 新世代地域ケーブルによるデジタル放送開始
平成17年3月 東ノ川郵便局廃止
平成17年8月 ケーブルテレビ自治体放送運用開始
平成17年10月 国勢調査上北山村人口(802人)
平成19年1月 国道169号崩落事故により通行止
平成19年4月 国道169号崩落箇所片側交互通行にて解除
平成19年9月 国道169号崩落箇所全面開通
平成21年11月 上北山村民俗資料保存館完成
平成24年3月 上北山道路(和佐又トンネル)開通
平成26年4月 保小中一貫教育開始

この記事に関するお問い合わせ先

企画政策課
〒639-3701 奈良県吉野郡上北山村大字河合330番地
電話番号:07468-2-0002
ファックス:07468-3-0265
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